ニューノーマル時代ににアートで人をむすぶプロジェクト

レポート

2021.10

みんなの“鑑賞” 2

わたしたちは、ふれあうことをやめない。
――「みんなの“鑑賞” 盲ろう者友の会の人たちと考える」によせて

山田創(ボーダレス・アートミュージアムNO-MA学芸員)

 2021年1月、京都新聞に、ある盲ろう者の女性を取り上げる記事が掲載された。その記事によると、彼女は、昨夏、憔悴しきった状態にあったという。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、他者とのコミュニケーションが激減したから、ということがその理由として書き記されていた。
 光と音の無い世界に生きる彼女にとっての主なコミュニケーション手段は「触手話」であった。触手話は、もともとろう者で、手話を使ってきた人が、盲ろう者となった場合に多く用いられる。触手話の通訳介助者は、盲ろう者の手を取って手話を行い、言葉を伝える。その女性は、触手話で言葉を受け取り、自らは手話を用い、会話を楽しんでいた。手のひらに文字を書く方法も有効であるが、触手話は手ぶりの強弱などにより行間のニュアンスを伝えやすく、より機微のある会話になるという。
 女性は「NPO法人しが盲ろう者友の会」の生活訓練「たっち」(盲ろう者の仲間と支援者が集まり活動や交流をしながら自分の持てる力を発揮し伸ばす場所)を楽しみに参加していた。そこでは、触手話で、親しい人たちと会話ができる。しかし、コロナ禍において、活動は4か月間中止せざるをえなかった。その間、彼女の活動は激減した。7月には、歩行機能が衰えており、認知症にも似た症状がみられ、以前は、手のひら書きで、漢字も読み書きできたにも関わらず、ひらがなで簡単な言葉を伝えることしかできなくなっていた。
「さみしい さみしい はなしあいてがほしい たっち たっち」7月下旬、彼女はヘルパーに、手のひら書きのひらがなで、このように伝えたという。
 多くの人たちは、この1年半で、非接触的な毎日に身体を順応させたと思う。この原稿を書いている2021年現在、友好の意味で握手を求める人はそういない。あるいは、対面はオンラインに置き換えられた。直接人に会えないのは少し寂しいが、交通費もかからないし、オンライン会議は電話より齟齬がなく便利だ。こうしたニューノーマルは、コロナを克服した後も、社会基盤として、残っていくだろう。世界は、感触を置き去りにし、明日へと進もうとしている。
 しかしながら、社会構造の変化は、それについていけない誰かを見過ごし、新たな排除を生み出すものでもある。現に一人の盲ろう者から、コミュニケーションが奪われた。感染拡大防止対策自体を批判するのではもちろんない。ただし、取り残されてしまいかねない人たちのことを想像する力が、社会を変える推進力と同じくらい必要だといいたい。
 「みんなの“鑑賞”2 しが盲ろう者友の会の人たちと考える」は、こうした状況に、応答するための取り組みだと考えている。美術作品を前に、見えない・聞こえない人と、見える・聞こえる人が、作品を触り、会話を交わすことが軸となっている。
アートはそもそもが、実利的ではなく、無くても生活には困らない、いわば余剰である。しかしながら、アートは人に感動を与え、考え方を見直すきっかけを作り、あるいはコミュニケーションを生む。作品を前に話し合って生まれる会話は、それが実利的でないからこそ、独特の楽しさがある。本プロジェクトでは、この楽しさを盲ろう者と共有することが、目的の一つである。
 もう一つ、このプロジェクトの主たる目的がある。それは、盲ろう者の感じ取る世界をひらくことである。盲ろうは、確かに大変な障害である。しかしながら、それを視覚・聴覚の欠落と捉えるのは、一方的な基準の下にレッテルを貼る行為に思える。見える・聞こえる人にはない知覚世界を、盲ろう者は脳内に編む。この鑑賞方法が対話型になっているのは、互いの感覚を双方向的に共有するためである。
 このように、このプロジェクトでは、鑑賞の楽しみを共有することと、盲ろう者と感覚の交感をすることの二つの軸に立脚しながら進めていった。その結果として、佐々木卓也の作品を契機に3通りの関心深い対話が生まれた。成果展示は、作品―盲ろう者―対話者の間に起こった3つのコミュニケーションを記録するものである。
 本プロジェクトは「ニューノーマル時代にアートで人をむすぶプロジェクト」の中の一つであり、所詮はアートプロジェクトの範疇を出ない。それゆえに、盲ろう者の生活状況を抜本的に改善するものとはならない。
 しかしながら、ある種、実利的でなく、余剰を大いに含んだ、「アート」という言葉を掲げながら、盲ろう者たちと場を作り上げることに意義があるのではないかと思える。本来、楽しい会話や、親しい友人関係は、いつだって実利と遠いところにある。必要なのは、生命の保障だけではない。いかにコミュニケーションの手触りが変わろうと、こうした余剰が奪われる社会であってはならない。
 話は戻って、「さみしい さみしい はなしあいてがほしい」といった女性は、「たっち」の活動が再開し、他者との交流機会が復活したのを機に、徐々に心身を回復させ、元通り元気になった。改めて、心理的にも物理的にも接触の大切さを思う。
最後になったが、プロジェクトメンバーの皆さん――前向きに参加し、快く対話に応じて下さったしが盲ろう者友の会の岡田理事長、岡本さん、北川さん、プロジェクトに並走してくださり、それぞれの専門性から適切な助言をくださったしが盲ろう者友の会の野中さん、アトリエカフエの安川さん、また、余剰部分の会話であるからこそ訳しにくい言葉の通訳にも果敢に取り組んでくださった通訳介助者の皆さんにこの場を借りて感謝申し上げたい。